バイウィル 代表取締役CSO 兼 カーボンニュートラル総研 所長の伊佐です。
先般、アゼルバイジャンのバクーで行われたCOP29では、実に様々な参加者が、世界の気候変動対応・1.5℃目標達成に向けた幅広い議論を行いました。
世界中の気候変動が甚大化し、実際に「観測史上最大・最悪」というレベルの異常気象が世界で多発した2024年の同会議は、参加者数もその熱量すらも、過去に例を見ないものだったと聞きます。
しかし、そこはやはり、状況も考え方も千差万別の「世界中の国と地域」を巻き込んだ、人類史上初と言ってよい「一大共同事業」であるカーボンニュートラルについて話される国際会議体。発言内容も、立場も多種多様でありますが、それ以上に、それを解釈し、世の中に伝えるメディアの発信内容も多様でした。
今後のカーボンニュートラル実現の鍵の一つは、「カーボンクレジットによる資金循環の加速」にあると考えている筆者が、過去から長くカーボンニュートラルに携わり、COPにも複数回参加してきた有識者の方々と意見交換させていただいた所感も含めて、COP29で話し合われた内容を概観しつつ、今後の1.5℃目標達成とカーボンニュートラル実現に向けて、どのような資金循環が起こっていくのかを展望します。
多種多様かつ多数の参加者が幅広い議論をしたと先述しましたが、今回のCOP29のアジェンダを強いて整理すると、下記の3つに集約されると考えます。
① 1.5℃目標達成に必要とされる、新たな「資金目標」について
② 同目標達成に向けた「緩和」の強化方針について
③ パリ条約6条に規定された「カーボンクレジット」の市場ルールについて
この内、すでに周知のとおり、メインアジェンダとも言える①に関する合意形成が最終日すら越え、期日延長の末、ギリギリまでかかったことも影響し、②については結論が出されず「先送り(COP30のアジェンダに加えられ、合意形成を目指す)」とされたため、ここでは詳述を避けます。
軽く触れさせていただくなら、1.5℃目標達成やカーボンニュートラル実現の文脈においては、気温の上昇を抑えるという本来の大目的に資するアクションである「緩和」、すでに上昇している気温やそれによって起こる変化に対応する「適応」、その両方のアクションが重要である、という考え方があります。
これに対して、気候変動とそれによる被害の激甚化が実際に世界中で起こっているという現状をとらえ、世界中の資金とアクションを「適応」よりも「緩和」に集中させるべきという方針と、そのためのアクションについて合意形成を図ったのが②のアジェンダです。
ですが、議長の提示した原案や限られた時間の中での議論では、「緩和」の強化方針とアクションとして極めて不十分である、と多くの参加者が判断したため、次回COP30に結論が先送りされることとなりました。
これ自体は、多少なりとも1.5℃目標達成やカーボンニュートラルの実現に影響はあると思いますが、①のアジェンダの影響力がより大きいうえ、長く時間が割かれ、こちらに関しては一定の合意形成がなされたため、「先送り」という流れにも一定の納得感はありますし、各種メディアや意見交換させていただいた方々においても、同様の声が多かったように思います。
ただし、アジェンダ①と③は、合意形成された内容と、それによる今後の世界の1.5℃目標達成に向けた動きに対する影響が大きいため、以下に解釈と見解を述べてまいります。
経緯や出された意見はさておき、このアジェンダについてはまず結論が重要です。
COP29のメインアジェンダとも言える「資金目標」の結論は、『2035年までに、官民含めて、年間3,000億ドルの資金の拠出』となりました。
この結論・合意内容については、立場の違いから賛否両論あるのは当然ですが、メディアの声としては、やや「否」に偏っている印象があります。一方で、過去からCOPに参加されてきた有識者の方々からは、比較的「賛」とまでいかなくとも、「一定程度の理解」「妥当なライン」という声が多かったように思います。
年間3,000億ドルという金額に対して「否」寄りの意見の多くは、主に途上国やWWFなどの環境団体から出されており、
などを理由としているものが多かったです。
一方で、この結論に一定の理解を示し、妥当ラインとした論調の多くは、当然先進国や経済評論家に多く、その理由は、
などでした。
いずれの見解も当然ながら一定の理があり、それらはそれぞれの意見を呈した国や立場や1.5℃目標達成における役割の違いによるところが大きいです。よってここでは、この金額の妥当性について、「日本」という先進国の立場から、いくつかの切り口で考察します。
日本が1.5℃目標を達成するための削減目標は、2013年を基準として、2050年カーボンニュートラルを実現するという時間感で設定されており、その削減目標は年度ごとに、リニアに一直線で引かれています。「限界削減費用」とは、これを実現するために1t-CO2の削減に必要となる金額を、一定のモデルで算出したものです。
前提として、この算定においては、2050年のカーボンニュートラル実現時点でも、1億t-CO2以上の直接回収(DACCS・BECCS)などのネガティブエミッション技術への依存が不可避であり、それらも踏まえたうえで限界削減費用は加速度的に上昇するとされています。
言うまでもなく、日本の産業構造は先進国の中でも中国・アメリカに次いで製造業比率が高く、総じて今後の脱炭素の難易度も、かかる費用も高くなります。さらに、いわゆる「自助努力による削減活動」を最優先するセオリーも、日本は堅守するものとみられます。
こうしたことが、限界削減費用の水準を加速度的に上昇させる結果に繋がっており、2030年には1.8~2.0万円/t-CO2、2040年には4.8~5.0万円/t-CO2に達するとされています。
また、過去に日本国内で温対税を財源として実施された5,000を超える脱炭素関連事業の削減効果を、投下された資金額で除して算出された財源効果についても、約1.6万円/t-CO2となっており、上記の限界削減費用の数値と整合します。
2022年度の日本の排出量確定値は10.8億t-CO2となっており、それ以降はまだ確報が出されていませんが、今回資金目標が設定された2035年の排出量目標は約5.7億t-CO2となり、その差は実に5.1億t-CO2です。
前述の削減限界費用を踏まえ、2025~2035年に必要な削減費用の総額を算出すると、実に約8兆円に上ります。もしもこれを年数で均等に割るならば、約7,200億円/年となります。つまり、日本は、自国の目標達成のためだけに、今後毎年7,200億円/年の投資をしなければならない、ということになります。
さて、ここで論点である「2035年までに、3,000億ドル/年」という資金目標に立ち戻ってみましょう。
言うまでもなくこれは全世界で、ということになりますが、2030年において世界に占める日本のGDPは約4.4%と予想されているため、この資金目標も4.4%を日本が出すものと仮定すると、1兆9,800億円/年になります。先ほど、限界削減費用から試算した日本の目標達成に必要な資金が7,200億円/年であり、今回の資金目標はその2.75倍を毎年1.5℃目標達成のために拠出しなければならないということになるのです。
もちろん、数字の定義や私が概算したそれぞれのモデルには誤差はあるに違いありませんが、この数字から私が感じたことを率直に述べるなら、「随分と高い。しかし、絶対に実現不可能とも言い切れない」というものです。
今回の資金目標に対して否定的な意見も散見されますが、もう少し様々な視点から考察されるべきものにも思えます。仮に「2030年までに1兆ドル/年」という一部の意見が採用された場合、そもそも先進国はCOPから降りてしまう可能性すらあったのではないでしょうか。今回の資金目標は、そういった意味でも「妥当」だと言えます。
ただし、科学的論拠に基づいて算定された1.5℃目標達成水準に満たないとするならば、それ以上の資金目標を掲げられるように、あるいは、同水準の資金で削減効果を高められるように、あらゆる国や地域と企業が努力しつづけるべきです。今回のCOPで共通認識となった最大の事柄は、「このままでは、気候変動によって地球が受ける被害は、取り返しのつかない甚大なものになる」というものなのですから。
同時に、こうした巨額の資金目標について考えるにあたっては、その金額の過多もさることながら、環境価値と経済価値が資金としてもっと力強く循環する仕組みの構築と活性化を忘れてはなりません。次のアジェンダでは、その視点も持って読みすすめていただけたら幸いです。
カーボンクレジット、という概念と言葉は、すでに世界的に一定程度の認知を得ていると思われますが、その内容やこれまでの経緯、用途、創出プロセス、取引形態や市場規模など、具体的かつ詳細に知る人はかなり限られると思います。ただ、確かなことは、2015年に採択され、2016年に発効したパリ協定によって、カーボンクレジットという「社会ツール」が創られたということです。
1.5℃目標を達成するためには、先進国の努力だけでなく、当然途上国を含めた「全世界的な気候変動対応」を加速させていかなければなりません。しかし、十分な資金力や経済基盤のない国や地域は、脱炭素投資が純粋なコストにしかならず、早期の加速は見込めません。
よって、特に先進国には非常に野心的で高い目標を課すことと併せて、途上国には脱炭素投資の結果としての削減効果を「カーボンクレジット」として権利化し、売買対象とすることで、先進国から途上国への資金循環を高めようとしたのです。
これは、途上国にとっては脱炭素に対する「ご褒美」があるからモチベーションが上がり、先進国は脱炭素の成果として主張でき、今後上昇する限界削減費用に真正面から挑む以外の効果的な投資先として、途上国の気候変動対応を支援しやすくなるという仕掛けです。
そして、このパリ協定で規定されたカーボンクレジットは、実はこれまで大枠しか決められておらず、炭素市場を運用する詳細ガイダンスや方法論、管理主体などは明確に定義されていませんでした。今回は、それがようやく決まったのです。
パリ協定6条の条文や意味はここでは詳述しませんが、今回の決定内容だけを端的に述べると、以下となります。
カーボンクレジットやオフセットに対しては、その概念が創られた背景や意義以上に、各国や地域、そこに属する企業の目線で、「自分たちで目標達成できなかった分を、お金でつじつま合わせする=オフセットのツール」という認識が強いです。
さらに、史上初めて登場した概念であるがゆえに、市場草創期には、その理念や意義よりも、意図的に創出量と取引量の増加を重視した動きが先行し、2020年頃まで急速に成長した時期がありました。
しかし逆張りとして、削減効果の信頼性や取引(移転)のトラッキングが利かないなどの問題が指摘されつづけ、海外ボランタリークレジットでの「削減のウソ」スキャンダルによって、現在はカーボンクレジットによるオフセットに対して厳しい目線が多いです。
一方で、このツール本来の目的である「環境資金の循環を促す」という機能は、世界の1.5℃目標達成のためには必須のものです。こうした仕掛けのないままに、国や地域、企業に負荷をかけ続けた先には、環境の回復以上に、世界的な経済成長の停滞しかありません。
今回のカーボンクレジットの市場ルール決定は、先に述べた「資金目標」とセットで、下記のような動きを世界に波及させていくと考えられます。
これまでに述べてきた通り、COP29は総じて、世界的な気候変動による被害の甚大化を参加者全員で実感したことで、その対応のために妥当な資金目標と、それを実現するための資金循環システムとしてのカーボンクレジットの市場ルールが整備されました。
これによって、脱炭素は確実に、より世界的に加速しつつ、一方で、高品質なカーボンクレジットなどの資金循環の仕組みが本格的に機能しはじめると考えられます。
1.5℃目標達成とカーボンニュートラルの実現に向けて、2025年から5年以上先を見た投資とアクションをする国や地域、企業が発展し、それに遅れた者はあらゆる意味で成長機会を失い、国際的なプレゼンスを落とす、そんな将来像がより鮮明になりました。