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【総研ブログ】SBTi ネットゼロスタンダード改訂草案のポイント

作成者: 伊佐 陽介|2025.04.09

バイウィル 代表取締役CSO 兼 カーボンニュートラル総研 所長の伊佐です。

これまで私は、様々な方法でカーボンニュートラルに関する多岐にわかる情報発信を行ってきましたが、それらを貫くメッセージのひとつに「脱炭素の潮流が変わる」「いま世界は、従来のパラダイムからの転換点を迎えている」というものがあります。

今回は、そのひとつの現れとして、先般公開された「SBTi Net-Zero standard ver.2.0草案」のポイントを読み解き、今後の脱炭素に与える影響について考察していきます。しかしその前に、ここに至るまでの背景を共有しておきたいと思います。これを踏まえて読み解くか否かで、理解度も感じ方も大きく変わると思うので、是非一読ください。

資本主義的パラダイムからの脱却を図ろうとする今、何が起きているのか

人類史上類を見ない新たなゲームルールであり、今や不可逆のグローバルメガトレンドでもあるカーボンニュートラルですが、これまでの歴史の中で形成されてきたいくつもの「前提」があります。

暗黙的なものも含めて挙げると、

  • 環境対策と経済成長は両立させなければならない
  • 経済リスクとしても最大のテーマである気候変動に対応するために、「1.5℃以下」という野心的目標を目指すべき
  • そのために、基準年と目標年(多くの場合2050年)を定め、各年の削減目標をリニアに設定すべき
  • 一度設定した目標は軽々に動かしてはならず、達成に向けたアクションは各国・各企業の排出量削減を直接的に実現する、徹底した省エネ化と再エネ化を第一優先とすべき
  • これらのアクションは、特に先進国と大手企業によって先導されるべきものである

などでしょうか。これらの考え方は、様々な会議体や業界団体による議論、各国のルールや規制、業界ごとのガイドラインなど、様々な形で世の中に浸透してきました。また、誰も正解を持たない「新たなゲームルール」であり、同時に「地球規模の必達目標」でもあるからこそ、数百年にわたって世界を支配してきた資本主義的パラダイムからの脱却を図る(≒安易に過去パラダイムの慣性に引き戻されない)ためにも、厳格で揺らぎのない、強固なルールである必要がありました。そういった意味で、これらのルールは、1990年代初~2025年まで、30年以上に亘って築き上げてきた大事な考え方であり、昨今の脱炭素意識の高まりが、こうした積み上げの成果であるのは間違いありません。

世界的なカーボンニュートラル実現に向けたルールが、我々に残したもの

他方、こうした積み上げの結果、何が起こっているのかも、しっかりと認識しなければなりません。国・省庁・自治体・大手企業・中小企業など、カーボンニュートラルを取り巻く重要なプレイヤーの皆さんとずっと対話を続けてきた我々の認識は、下記のようなものです。

  • 世界のGHG排出量は「減っていない」
    • 1990年の世界のCO2排出量:約205億t
    • 2024年の世界のCO2排出量:約374億t
    • 先進国の「GDP当たり排出量」はある程度減っているが、GDP成長と途上国の排出量増加が著しい

  • 特に先進国は、2030年以降の目標の「未達の可能性が高い」
    • 2020年に提出された前NDCs(2030年目標)と、その経過年度の目標を、全て達成(および達成見込み)の国は存在しない
      • 現在までの年度目標は全て未達(日本は「オントラック」と言われてきたが惜しくも未達年度あり)
      • 提出時に達成の鍵を握るとされていた再エネ化・ネガティブエミッション技術開発などもほぼ全て遅れている状態
    • 2025年にNDCを提出した日本を含む各国も、2035年目標とその達成アクションに目新しさはない
    • 様々な研究機関が出している世界の「限界削減費用」は、2030年までに非常に高くなる見通しであり、日本は450$/t以上、先進国のほとんどで300$/t以上と言われており、資金の拠出も目標達成に必要とされる水準に届いている国は少ない

  • 特に大手企業は「限界を感じている」
    • 各国の政策や規制、グローバルの情報開示ルール、ファイナンス基準などによって、「野心的な目標」を掲げ、「自助努力による目標達成」を試みてきたが、投資対削減効果は年々厳しくなってきている
    • 国際的に活動するNGO団体や業界団体が過去に示してきた基準やガイドラインに沿って活動してきた大手企業が多いが、2024年末~2025年にかけて脱退する大手企業も出てきている
    • 2024年に出された所謂「ドラギレポート」(The Future of European Competitiveness)をきっかけに、これまで世界の脱炭素に於ける先導的なポジションを示してきたヨーロッパでも、「脱炭素化がヨーロッパの産業を空洞化させるリスク」に触れ、「政治的な持続可能性を危うくする可能性」を示唆。従来の温暖化対策の見直しをすべきとの潮流ができはじめた
      • 欧州委員会も、CSRD(企業サステナビリティ―報告指令)を簡素化の上、対象企業を8割に減らし、CBAM(国境炭素調整措置)も併せて緩和、CSDDD(企業サステナビリティー・デューデリジェンス指令)も緩和する方針を発表

厳しい規制・開示ルール。されど、CO2排出量は減らず・・・

こうして見ると、これまでのカーボンニュートラルの流れは、野心的目標を掲げ、厳しい情報開示ルールに沿って、排出削減に直接的な影響力を及ぼす国・企業ごとの活動にのみ焦点が当てられ、どれほど厳しくともそれに相応しい投資をし続けることを求められてきたと言えるでしょう。

しかし、世界の排出量は減らず、各国・各企業の目標も未達が続き、これから更に大きな投資が求められ続ける未来に懸念と不安を覚える人が増えてきた結果、従来の気候変動・脱炭素化の方針や対策を見直すべきタイミングでは?という空気感が醸成されているのが分かると思います。

実際は、ここにはとても書ききれない様々なアクションや事例がありますが、こうした「世界の潮流が変わりつつある」状況を踏まえて今回のSBTi Net-zero standard 改訂を読み解くことで、行間の意図まで推し量ることができるはずです。

「SBTi Net-zero standard改訂草案の」のポイントとは?

前置きが長くなりましたが、いよいよSBTi Net-zero standard改訂草案のポイントをピックアップしていきましょう。

130ページ以上の草案を要約してポイントをまとめると、下表のようになります。中でも、現行のver.1.2との対比で、重要または企業の今後への影響が大きいと思われるものを赤太字にしています。

 

これらを俯瞰して言えるのは、SBTiの今回の改訂は、「多くの企業の現状や要請に則し、より実現可能な水準での目標設定やその進捗管理をしていきましょう」というものではない、ということです。

冒頭から述べたように、「カーボンニュートラルの潮流」に変化の兆しがあるのは間違いありません。これまでどおりのやり方では、大前提である「環境対策と経済成長は両立させるべきもの」という考え方でこれ以上進められない、ということは間違いないでしょう。ただし、この考え方に則しては、ようやく醸成されたカーボンニュートラル実現への機運と資金循環が、経済合理性重視のものに後退してしまうという懸念は拭えません。上記の内容は、こうした懸念に十分に配慮しつつも、より「きめ細かく(企業特性を分類)」「実践的に(具体的なアクションと成果)」具体化しようとしたもの、と捉えるべきでしょう。

このSBTiのスタンスは、大いに評価されるべきものだと考えます。上記以外にも、「ネットゼロの状態を示す指標・ベンチマーク・手法」が規定されようとしていますが、これらも多くの企業にとって、今後の活動の大きな指針となるべきものです。SBTiは、カーボンニュートラルのグローバルメガトレンドを停滞させることなく、更に実践的な基準を示すことで、企業の脱炭素化の実践を促そうとしていることがよく分かります。より厳格且つ具体的な基準を示すことで、企業のアクションをより効果的に推し進め、同時に、それにコミットした企業が報われやすい仕組みにしていく意図が読み取れる、と言い換えてもよいかもしれません。

例えば、今回はSCOPE1とSCOPE2の目標が明確に切り分けられましたが、SCOPE2についてだけを取り上げてみても、今回、マーケット基準だけでなく「ロケーション基準」が必須とされています。また、電力系統平均をとる範囲については、現行通り国全体なのか、接続している電力系統の範囲なのかが検討対象となっていて、まだ結論が出ていませんが、SCOPE2のネットゼロ状態として「CCSは考慮せず0.009kgCO2/kWh」という基準が示されており、これは第7次エネルギー基本計画で示された2040年水準である「0.03~0.04kgCO2/kWh」よりも遥かに低い水準まで抑え込む必要があることを示しています。この流れは、証書によってマーケット基準のみのゼロエミッション化を主張するだけでは不足していくことを示唆しています。

また、鉄鋼業をはじめとしたネットゼロが極めて困難とされる一部の業種については、安価なグリーン水素の調達が重要になりますが、日本の電力部門全体の再エネ化率によっては、国内での製造を継続することが難しいということになります。これは、表面だけ見ると、企業にこれまで以上の自前の再エネ調達や設備投資を強いるルールにも見えます。しかし、逆に言えば、こうした高い基準でのアクションをとる企業や自治体が、多くのステークホルダーに選ばれやすくなっていくということでもあります。

今回の改訂では、SCOPE3については「より関連性の高い排出源にフォーカス」することや「立証可能な緩和策について考慮」することなどが検討されており、多くの大手企業にとって悩みの種であったSCOPE3問題について、一旦対象外にするという安易なやり方でなく、一定の具体性と実践を促す提案を盛り込もうとしています。更に、残余排出量やBVCMについても、ネットゼロの移行期から対策や主張が可能となるように、いくつかの提案が検討されています。

より実践的で、投資対削減効果の高いアクションを各企業が多角的に検討すべき契機がきた

今回のSBTiの改訂は「草案」の段階であり、どのように決定版が出されるのか、引き続きウォッチしていく必要がありますが、少なくとも、企業の気候変動対応を更に加速させ、気候変動ファイナンスを拡大させていく喫緊の課題と向き合いつつも、従来よりも実践的で投資対削減効果の高いアクションを、各企業が多角的に検討すべき大きな契機であることは間違いありません。そして、その具体的な検討の中から、その投資にふさわしい持続的な成長機会を創出する、という経営能力が問われています。