バイウィル 代表取締役CSO 兼 カーボンニュートラル総研 所長の伊佐です。
これまで私は、様々な方法でカーボンニュートラルに関する多岐にわかる情報発信を行ってきましたが、それらを貫くメッセージのひとつに「脱炭素の潮流が変わる」「いま世界は、従来のパラダイムからの転換点を迎えている」というものがあります。
今回は、そのひとつの現れとして、先般公開された「SBTi Net-Zero standard ver.2.0草案」のポイントを読み解き、今後の脱炭素に与える影響について考察していきます。しかしその前に、ここに至るまでの背景を共有しておきたいと思います。これを踏まえて読み解くか否かで、理解度も感じ方も大きく変わると思うので、是非一読ください。
人類史上類を見ない新たなゲームルールであり、今や不可逆のグローバルメガトレンドでもあるカーボンニュートラルですが、これまでの歴史の中で形成されてきたいくつもの「前提」があります。
暗黙的なものも含めて挙げると、
他方、こうした積み上げの結果、何が起こっているのかも、しっかりと認識しなければなりません。国・省庁・自治体・大手企業・中小企業など、カーボンニュートラルを取り巻く重要なプレイヤーの皆さんとずっと対話を続けてきた我々の認識は、下記のようなものです。
こうして見ると、これまでのカーボンニュートラルの流れは、野心的目標を掲げ、厳しい情報開示ルールに沿って、排出削減に直接的な影響力を及ぼす国・企業ごとの活動にのみ焦点が当てられ、どれほど厳しくともそれに相応しい投資をし続けることを求められてきたと言えるでしょう。
しかし、世界の排出量は減らず、各国・各企業の目標も未達が続き、これから更に大きな投資が求められ続ける未来に懸念と不安を覚える人が増えてきた結果、従来の気候変動・脱炭素化の方針や対策を見直すべきタイミングでは?という空気感が醸成されているのが分かると思います。
実際は、ここにはとても書ききれない様々なアクションや事例がありますが、こうした「世界の潮流が変わりつつある」状況を踏まえて今回のSBTi Net-zero standard 改訂を読み解くことで、行間の意図まで推し量ることができるはずです。
前置きが長くなりましたが、いよいよSBTi Net-zero standard改訂草案のポイントをピックアップしていきましょう。
130ページ以上の草案を要約してポイントをまとめると、下表のようになります。中でも、現行のver.1.2との対比で、重要または企業の今後への影響が大きいと思われるものを赤太字にしています。
これらを俯瞰して言えるのは、SBTiの今回の改訂は、「多くの企業の現状や要請に則し、より実現可能な水準での目標設定やその進捗管理をしていきましょう」というものではない、ということです。
冒頭から述べたように、「カーボンニュートラルの潮流」に変化の兆しがあるのは間違いありません。これまでどおりのやり方では、大前提である「環境対策と経済成長は両立させるべきもの」という考え方でこれ以上進められない、ということは間違いないでしょう。ただし、この考え方に則しては、ようやく醸成されたカーボンニュートラル実現への機運と資金循環が、経済合理性重視のものに後退してしまうという懸念は拭えません。上記の内容は、こうした懸念に十分に配慮しつつも、より「きめ細かく(企業特性を分類)」「実践的に(具体的なアクションと成果)」具体化しようとしたもの、と捉えるべきでしょう。
このSBTiのスタンスは、大いに評価されるべきものだと考えます。上記以外にも、「ネットゼロの状態を示す指標・ベンチマーク・手法」が規定されようとしていますが、これらも多くの企業にとって、今後の活動の大きな指針となるべきものです。SBTiは、カーボンニュートラルのグローバルメガトレンドを停滞させることなく、更に実践的な基準を示すことで、企業の脱炭素化の実践を促そうとしていることがよく分かります。より厳格且つ具体的な基準を示すことで、企業のアクションをより効果的に推し進め、同時に、それにコミットした企業が報われやすい仕組みにしていく意図が読み取れる、と言い換えてもよいかもしれません。
例えば、今回はSCOPE1とSCOPE2の目標が明確に切り分けられましたが、SCOPE2についてだけを取り上げてみても、今回、マーケット基準だけでなく「ロケーション基準」が必須とされています。また、電力系統平均をとる範囲については、現行通り国全体なのか、接続している電力系統の範囲なのかが検討対象となっていて、まだ結論が出ていませんが、SCOPE2のネットゼロ状態として「CCSは考慮せず0.009kgCO2/kWh」という基準が示されており、これは第7次エネルギー基本計画で示された2040年水準である「0.03~0.04kgCO2/kWh」よりも遥かに低い水準まで抑え込む必要があることを示しています。この流れは、証書によってマーケット基準のみのゼロエミッション化を主張するだけでは不足していくことを示唆しています。
また、鉄鋼業をはじめとしたネットゼロが極めて困難とされる一部の業種については、安価なグリーン水素の調達が重要になりますが、日本の電力部門全体の再エネ化率によっては、国内での製造を継続することが難しいということになります。これは、表面だけ見ると、企業にこれまで以上の自前の再エネ調達や設備投資を強いるルールにも見えます。しかし、逆に言えば、こうした高い基準でのアクションをとる企業や自治体が、多くのステークホルダーに選ばれやすくなっていくということでもあります。
今回の改訂では、SCOPE3については「より関連性の高い排出源にフォーカス」することや「立証可能な緩和策について考慮」することなどが検討されており、多くの大手企業にとって悩みの種であったSCOPE3問題について、一旦対象外にするという安易なやり方でなく、一定の具体性と実践を促す提案を盛り込もうとしています。更に、残余排出量やBVCMについても、ネットゼロの移行期から対策や主張が可能となるように、いくつかの提案が検討されています。
今回のSBTiの改訂は「草案」の段階であり、どのように決定版が出されるのか、引き続きウォッチしていく必要がありますが、少なくとも、企業の気候変動対応を更に加速させ、気候変動ファイナンスを拡大させていく喫緊の課題と向き合いつつも、従来よりも実践的で投資対削減効果の高いアクションを、各企業が多角的に検討すべき大きな契機であることは間違いありません。そして、その具体的な検討の中から、その投資にふさわしい持続的な成長機会を創出する、という経営能力が問われています。