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【総研ブログ】気候変動対応の歴史とカーボンプライシングの役割 ~サステナブルファイナンスの第一人者足達英一郎氏との対談を踏まえて読み解く~

作成者: 伊佐 陽介|2025.11.14

気候変動への対応は、今や企業経営や私たちの生活にとって不可分なテーマとなっています。しかし、その歴史や、「カーボンプライシング」という概念は、十分に理解されているとは言えません。

本稿では、YouTubeチャンネル「伊佐陽介 | カーボンニュートラルを読み解く」にて公開された、一般社団法人鎌倉サスナビリティ研究所の特別顧問である足達英一郎氏と、株式会社バイウィル取締役CSO兼バイウィル カーボンニュートラル総研 所長の伊佐陽介が行った対談内容を基に、気候変動対応、特にカーボンプライシング(CP)の歴史的変遷とその構造、そして私たちがこれからどう向き合うべきかを解説します。足達氏は、1999年に日本初のエコファンドを立ち上げて以来、25年以上にわたりサステナブルファイナンスの最前線で活躍されてきた専門家です。

本ブログは足達氏と対談をした、バイウィル カーボンニュートラル総研 所長の伊佐が、対談の概要について解説したものです。

はじめに:なぜカーボンプライシングが必要なのか?

2015年のパリ協定採択以降、世界は「カーボンバジェット(許容される温室効果ガス排出量の上限)」を意識し、地球の温度上昇を産業革命前と比較して1.5℃以下に抑えるという野心的な目標に向けて動き出しました。しかし、足達氏が指摘するように、私たちの社会は資本主義経済の中で長らく「売上」「利益」などの「経済指標」を最優先する価値観で動いてきました。そのため、環境対策はどうしても「コスト」として捉えられがちです。

気候変動問題の根本には、「負の外部性」という経済学的な課題があります。つまり、CO2を排出して環境に負荷を与えても、そのコスト(社会全体が被る損害)を排出者が直接負担しない構造があるのです。排出者自身がコストを払わないなら、排出を抑制するインセンティブは働きません。この「フリーライド(ただ乗り)」を許容する構造こそが、気候変動問題を深刻化させてきました。

この構造的な欠陥を是正し、環境負荷に「価格」を付けることで経済活動の中に環境配慮を組み込もうとする政策手段がカーボンプライシング(CP)なのです。

気候変動対応の歴史:3つのタームで振り返る

足達氏は、気候変動対応、特にCPの視点から、過去約50年の歴史を大きく3つのターム(期間)に分けて解説しています。

第1ターム:課題認識期(1972年頃~1997年 京都議定書採択)

この約25年間は、気候変動問題が地球規模の課題として認識され始める黎明期でした。

  • 「成長の限界」の提起:1972年、ローマクラブが発表したレポート「成長の限界」は、地球資源の有限性、すなわち地球のキャパシティには限界があるという考え方を世界に提示しました。これが後に「カーボンバジェット」という概念に繋がっていきますが、この時点ではCO2をはじめとした温室効果ガス(GHG)が主因であるという認識は、まだ希薄でした。
  • サステナビリティ概念の登場:1987年、国連のブルントラント委員会が「持続可能な開発」を定義し、将来世代のニーズを損なわずに現代世代のニーズを満たすことの重要性を説きました。
  • 企業の環境責任への問い:1989年、エクソン・バルディーズ号原油流出事故は、環境問題の責任が国だけでなく企業にもあるという認識を広め、企業の情報開示(環境報告書など)の必要性が叫ばれる契機となりました。
  • 「自分事」としての認識の遅れ:当初、環境問題は水俣病や四日市ぜんそくのような「公害」として捉えられがちでした。原因者と被害地域が特定しやすかったため、環境問題はあくまで公害を引き起こした特定少数の話であり、多くの人々は「自分たちには関係ない問題」と捉えていました。
  • 問題の複雑化:しかし、科学的研究が進むにつれ、温暖化の原因が特定の汚染源だけでなく、私たちの経済活動や生活様式そのものから排出される温室効果ガス(GHG)にあることが明らかになります。さらに、その影響は国境を超えて広がり、将来世代にも及ぶという、時間的・空間的に複雑な構造を持つ問題であることが認識されるようになりました。ここで漸く特定多数の企業の活動全体に関わるルール作り(非財務情報開示など)の必要性が議論されるようになります。

このタームでは、CP自体はまだ確立されていませんでしたが、炭素以外の環境負荷に対するプライシングの試みが、先駆的なプレイヤーによって模索され始めていました。

 

第2ターム:停滞期(1997年頃~2015年 パリ協定採択)

京都議定書が採択されたものの、その後の約10数年間は、気候変動対策が思うように進まなかった「停滞の時期」と言えます。

  • 京都議定書発効の遅延:採択から発効まで8年(2005年発効)もの歳月を要しました。最大の理由は、気候変動対策が経済活動と相反する(トレードオフ)関係にあると捉えられ、各国の合意形成が難航したためです。
  • 経済危機による逆風(2008年):リーマンショックによる世界的な経済危機は、気候変動対策への機運に冷や水を浴びせました。人々は「2050年の環境問題」よりも「明日の雇用と生活」を優先せざるを得なくなり、対策は後退しました。長期的な視点を持つはずの年金基金などの機関投資家でさえ、短期的な収益確保に走る傾向が見られました。真に長期的なリスク(異常気象による事業継続性や生産性の大幅な低下など)を見据えていた投資家は少数派でした。
  • 日本の判断:日本は、2011年の東日本大震災による原発停止とそれに伴う化石燃料輸入の増加という国内事情も重なり、京都議定書の第2約束期間(2013年~2020年)には参加しないという苦渋の決断をしました。
  • 日本のCPパラドックス:興味深いことに、日本はこの時期、国内での排出権取引市場の導入には産業界を中心に強く反対していた一方で、京都議定書の第1約束期間(2008年~2012年)の目標達成においては、国際的なカーボンプライシング制度である「京都メカニズム」(CDM:クリーン開発メカニズム、JI:共同実施など)を最大限活用しました。これは、海外の途上国などで行われる排出削減プロジェクトに投資し、その削減分(クレジット)を日本の削減量としてカウントする仕組みです。結果的に目標は達成できましたが、国内での削減努力が不十分だったために、多額の資金(国富)が海外に流出したとして、当時強い批判も浴びました。

この時期、CPは先進国を中心に炭素排出を対象とする形で試みられましたが、世界的な足並みは揃わず、大きな進展は見られませんでした。

 

第3ターム:再起と加速期(2015年~現在)

停滞期を経て、気候変動対策が再び力強く動き出したのが2015年以降です。

  • パリ協定とSDGsの採択(2015年):先進国のみに削減義務を課した京都議定書の限界を踏まえ、世界の全ての国が自主的な目標(NDC:国が決定する貢献)を設定し、5年ごとに見直すという新たな枠組みであるパリ協定が採択されました。これにより、「2050年ネットゼロ」「1.5℃目標」が世界共通の目標として広く認識されるようになります。同年、国連総会ではSDGs(持続可能な開発目標)も採択され、環境問題と社会・経済の統合的な取り組みが加速しました。
  • 日本の目標引き上げとGX推進:世界的な潮流の変化を受け、日本も大きく舵を切ります。
     2020年:菅政権が「2050年カーボンニュートラル」を宣言。
     2023年:2030年度の削減目標を2013年度比46%削減へと大幅に引き上げ。
     2023年:GX推進法が成立。長年の議論と産業界の抵抗を乗り越え、排出権取引制度(GX-ETS)の導入が決定。
  • 産業界の抵抗感:目標引き上げやCP導入に対し、当初、日本の産業界には強い抵抗感がありました。これは、気候変動対策を経済成長の「足かせ」や「コスト増」と捉える見方が根強かったためです。足達氏は、日本企業が「変化=リスク」と捉えがちな特性も、目標設定の遅れに影響した可能性を指摘しています。
  • 投資家の影響力拡大:再生可能エネルギーのコスト低下などにより、「気候変動対策は儲かる」という認識が広がり、投資家の存在感が増しました。しかし、足達氏は、市場環境が変われば投資判断をすぐに変える投資家も多い点に注意を促しています。
  • 現在の逆風と不確実性:パリ協定以降、世界は野心的に前進してきましたが、近年、再び逆風が吹き始めています。新型コロナウイルスのパンデミック、経済不安、ウクライナや中東での紛争、そしてアメリカ大統領選挙でトランプ氏が当選したことにより、アメリカがパリ協定からの離脱するなど、第3タームで加速した動きが失速、あるいは後退しかねない不確実な状況にあります。

カーボンプライシング(CP)を深く理解する

気候変動対応の歴史を改めて振り返ることで、経済至上主義が、世界の発展を加速し続けて来た裏側で、環境に及ぼしてきた負荷の大きさと同時に、気候変動が50年もの長期でも進まなかった構造的な要因にもなっていることが再認識されました。また、経済至上主義的なパラダイムだからこそ重要なはずのCPも、未だ健全に機能しているとは言い難い状況であることもわかります。ここで改めて、CPの概念、目的、そして構造について整理しましょう。

CPの基本概念と目的

CPの根底にあるのは、「これまで無料だった炭素排出に価格を付ける」という発想です。これにより、環境負荷という外部コストを経済活動の内部に取り込みます。 その本来の目的は、主に以下の4点に集約されます。

  • 費用効率性:社会全体の排出削減コストを最小化する。価格メカニズムを通じて、より安価に削減できる主体が多く削減するインセンティブが働く。
  • 投資の前倒し・技術革新:将来の炭素価格上昇を見越して、企業が早期に脱炭素投資を行うことを促す。GX経済移行債のような資金支援と組み合わせることで効果を高める。
  • 公平性・予見可能性:「汚染者負担の原則」を具体化し、企業に対して中長期的な価格シグナルを与えることで、計画的な投資を可能にする。
  • 国際整合性: 国境炭素調整措置(CBAMなど)を含む国際的なルールとの整合性を図り、グローバルなGXを推進する。

日本では、これらの効果を通じて経済成長と両立する「成長志向型カーボンプライシング」を目指しています 。

CPの3つの構造

足達氏は、CPを以下の3つのカテゴリーに分けて理解することを推奨しています。それぞれ目的や主体、機能が異なるため、整理して理解・議論・検討しましょう。


1.    政府によるカーボンプライシング(国家権力による規制)

  • 国が法律や制度に基づき、CO2排出に直接的・間接的に価格を課すものです。
    炭素税: 排出量に応じて課税します。
  • 排出権取引制度(ETS): 排出量の上限(キャップ)を設定し、企業間で排出枠を取引させる。日本のGX-ETSもこれに含まれます。
  • エネルギー関連税: 化石燃料への課税(例:日本の地球温暖化対策税、石油石炭税、将来導入される化石燃料賦課金)。
  • これらは、政府が市場に介入し、排出のコスト(=価格)を強制的に発生させることで、排出削減を促す仕組みです。

2.    インターナルカーボンプライシング(ICP:企業内部の管理会計)

  • 企業や組織が自主的に、自社のCO2排出量に内部的な価格を設定し、投資判断や事業部評価などに活用するものです。
  • これは法的な義務ではなく、経営判断として導入される管理会計の手法です。将来の炭素税やETS導入を見据えたリスク評価や、脱炭素投資の意思決定を促進する効果が期待されます(しかし、日本国内ではその設定ロジックや運用は模索段階であり、企業の能動的な気候変動アクションに繋がっているとは言いにくい状態です)。

3.    民間セクターによるクレジット取引(ボランタリー市場)

  • 企業やNGOなどが、自主的にCO2削減・吸収プロジェクト(例:植林、再エネ導入支援)を実施し、その効果を「クレジット」として認証・発行します。これを、自社の排出量を相殺(オフセット)したい企業などが購入する市場です。
  • 日本のJ-クレジット制度も、一部はこのボランタリー市場の側面を持ちますが、将来的にはGX-ETS(日本政府によるCP)との連携も想定されています 。足達氏は、ボランタリークレジットと政府主導のCPは、将来的に連結していく可能性も示唆しています。

現在の課題と今後の展望:第4タームへの移行期

パリ協定後の加速期(第3ターム)を経て、私たちは今、気候変動対応の新たなフェーズ、あるいは踊り場に立っているのかもしれません。

関心のピークアウトと経済・地政学リスク

足達氏は、気候変動への社会的な関心は、実は2019年頃にピークを迎えており、その後のパンデミック、経済の停滞、インフレ、そしてウクライナや中東での紛争といった複合的な危機により、人々の関心は「2050年の未来」よりも「目の前の生活や安全保障」へと引き戻されている、と指摘しています。この「時間軸の後退」は、長期的な取り組みが必要な気候変動対策にとって大きな逆風です。

経済的不満と政治的なバックラッシュ

さらに、経済格差の拡大や生活困窮に対する不満が、一部の国々で反環境政策を掲げる政治勢力への支持という形で噴出しています。気候変動対策が一部のエリート層の関心事と見なされ、一般市民の負担増に繋がるという認識が広がると、対策への支持は失われかねません。第3タームで築かれたモメンタムを維持するには、気候変動対策と社会・経済的な公正性を両立させる視点が不可欠です。

価値観の共有と世代間のギャップ

CPやカーボンクレジットが有効に機能するためには、「未来の環境価値を現在価値に換算する」という考え方、すなわち長期的な視点を社会が共有することが前提となります。「今さえ良ければ良い」という短期的な思考が支配的になれば、これらの仕組みは形骸化しかねません。

一方で、ある調査では、日本の若い世代(30代半ば以下)には希望を見出すことができます。総じて環境意識が高い上の世代は、一方で「高くても環境に良いものを買う」ことには消極的なのに対し、若い世代は環境貢献や社会貢献に対し、自己の満足感として対価を支払うことに抵抗が少ない傾向があるといいます。これは、教育などを通じて価値観が変化している可能性を示唆しており、今後の取り組みにおいて重要な推進力となるかもしれません。

グローバルな合意形成の難しさ

地球規模の課題である気候変動対策には、国際的な協調が不可欠ですが、そこには先進国と途上国の対立という根深い問題が存在します。途上国からは、「歴史的に排出してきたのは先進国であり、我々にはまだ発展し排出する権利がある」あるいは、「気候変動問題の主犯である先進国がそのための資金を拠出すべきであり、我々に負担を強いるべきではない」という主張がなされます。これに対しては、先進国が率先して脱炭素化を実現し、その技術や資金で途上国の取り組みを支援するという姿勢が求められますが、十分にそれに応えられているとは言いにくい状況です。

日本企業が取るべき道:5つの戦略オプションと「自律的思考」の重要性

このような複雑な状況下で、日本企業はGX、脱炭素にどう向き合うべきでしょうか。足達氏は、発想の転換を促す5つの戦略オプションを、理想的な優先順位と共に提示しています。

  • 事業ポートフォリオの入れ替え: 脱炭素時代に適した事業への転換。最も本質的だが、実行が最も難しい。
  • 製品・サービスの転換: 環境負荷の低い製品・サービスの開発・販売拡大。
  • 生産プロセス・物流の効率化: 徹底した省エネ(小エネ)。
  • 非化石エネルギーの利用: 再生可能エネルギーの導入、非化石証書の購入など。
  • カーボンクレジットの活用: どうしても削減できない排出量の相殺(オフセット)。

日本企業の現状:やりやすい順番でしか取り組まない

  • しかし、足達氏は、多くの日本企業が理想とは違う順序で取り組みがちであると指摘します。
  • ポートフォリオ転換(1)は、既存事業や雇用への影響を恐れて後回しにされがち。
  • 省エネ(3)は、オイルショック以来の取り組みで「やり尽くした感」がある。
  • 非化石エネルギー(4)は、比較的取り組みやすく、証書購入という手段もあるため先行しやすい。
  • カーボンクレジット(5)は、「グリーンウォッシング」批判を極度に恐れるあまり、活用に非常に消極的。「誰かがお墨付きを与えてくれる」のを待つ、日本企業特有の気質も影響している可能性があると指摘されています。

求められる「移行計画」と「自律的思考」

企業には、これらのオプションをどう組み合わせ、いつまでに何を達成するのかを具体的に示した「移行計画(トランジションプラン)」の策定と開示が求められています。しかし、不確実な未来に対する計画を開示することへのためらいも、日本企業には根強くあります。

筆者は、カーボンクレジットを単なるオフセット手段ではなく、「脱炭素投資の成果を証明し、最も効率的な削減が進む分野・地域へ資金を循環させるツール」として捉えるべきだと考えます。国際的なガイドライン(VCMIなど)も、自社での削減努力を最優先としつつ、より費用対効果の高い外部の削減活動へ資金を振り向けることの合理性を示唆しています。

最終的に、足達氏と筆者である伊佐が共通して強調するのは、外部の権威や基準に依存するのではなく、自社の状況を踏まえ、自らの頭で考え、試行錯誤しながら独自の戦略を築くことの重要性です。不確実な時代だからこそ、「誰かのお墨付き」を待つのではなく、本質を見据えた計画を立て、勇気をもって実行に移す。その自律的な姿勢こそが、GX時代の変化を乗りこなし、新たな成長機会を掴むための鍵となるでしょう。

結論:未来を切り拓くために

気候変動対応の歴史は、経済合理性と環境保全の相克、国際社会の協調と対立、そして技術革新と社会の価値観の変化が織りなす複雑な道のりでした。カーボンプライシングは、その中で生まれた、環境問題を経済システムに組み込むための重要なツールです。

私たちは今、第3タームの加速期から、新たな課題に直面する移行期(あるいは踊り場)にいます。逆風や不確実性は増していますが、若い世代の価値観の変化など、希望の兆しもあります。日本企業がこの難局を乗り越え、真のGXを実現するためには、過去の延長線上ではない、大胆な発想の転換と自律的な行動が不可欠です。カーボンプライシングを単なる規制やコストとして受け身で捉えるのではなく、リスクマネジメントを進化させ、新たな事業機会を創出するための戦略的なドライバーとして活用していく。その先にこそ、持続可能な未来が拓けるのではないでしょうか。