2025年、ブラジル・ベレンで開催されたCOP30は、これまでのCOPとは質的に異なる位置づけを持った会議でした。閉幕直後から様々なメディアで、COP30に対する批判的な情報が飛び交っていますが、筆者の目には、国際気候政策が向かう方向性を大きく変え、「気候政策の次章」と呼ぶにふさわしい構造変化が見受けられました。
元来、気候変動は世界経済・食料安全保障・都市の適応・自然資本など、幅広い政策領域と不可分の課題でした。しかし、数十年にわたる長い時間をかけて気候変動の潮流が定着するにつけ、COPの中心も「排出削減」という観点に集約され過ぎていたように思います。もちろん、気候変動対応やそのための排出削減は多くの問題解決の根底である以上非常に重要です。しかし、それだけではとうてい捉えきれないほど、気候変動は社会のあらゆる領域と結びついています。
それを再認識させてくれたのは、COP30開幕直前にビル・ゲイツが行った発信でした。国内外では一部、彼の発言が「気候変動より貧困問題が大事という主張だ」と誤って報じられてしまいました。しかし、彼の発信をフラットに読めば、別のメッセージに気付くことができるでしょう。ビル・ゲイツの真意は、
気候変動は人類的課題であり、最貧困層を最も強く脅かす。しかし、気候変動“だけ”を独立した問題として扱えば、貧困・食料・保健・教育といった切迫した課題を置き去りにしてしまう。よって、これらを複合的に解決するアプローチこそ、真に効果的な気候行動の本質である。
ということでしょう。この発信は、COP30の核心議題である適応・自然資本・森林・気候資金の方向性と完全に重なります。つまり、COP30は「気候変動=環境問題」という従来の固定観念を超え、「気候変動=社会課題の複合体」という元来の捉え方を再提示した会議だったと筆者は考えています。
本稿は、この視点から、COPの基礎の確認、COP30の成果と課題、そして2026年以降へ向けた展望まで、述べていきたいと思います。
COP(締約国会議)は、国連気候変動枠組条約(UNFCCC)の下で毎年開催され、パリ協定の運用ルールを決定し、世界の気候行動を前進させる場です。広く報道される政治的スピーチや、国際企業の展示会的な側面とは対照的に、実態としては高度にテクニカルで制度的な会議という訳です。
COPの中心的役割は大きく三つに分けられます。
これらの合意は世界経済や企業活動に直接影響するため、COPは国際政治と産業界を接続する重要な場となっています。
COPが年々注目を集めるようになった背景には、三つの根本的要素があります。
これらの複合課題を背景に、COPは「緩和(排出削減)」だけでなく「適応」「自然資本」「資金」「国際協調」を扱う場へと拡張されました。COP30は、まさにこの拡張を制度枠組みとして明確化した会議とも言えます。
COP30を理解するために、直前のCOP28・COP29がどのような論点を残したかを把握・整理しておきましょう。
COP28で注目を集めたのは、何といっても国際合意文書に初めて「化石燃料からの脱却(transition away)」という文言が盛り込まれたことです。
これにより、化石燃料依存のエネルギー体系からの移行が国際政策の主流となりました。主な成果は以下の通りであす。
一方で、Article6(国際炭素市場)ルールは停滞し、透明性・追加性・二重計上防止などが未解決のまま持ち越され、地球規模の資金循環には一定の不安も残りました。
COP29における最大論点は、途上国支援のための新たな気候資金目標(NCQG)でした。
途上国は兆ドル規模の資金供給を要求しましたが、先進国は慎重姿勢を崩さず交渉は膠着しました。最終的には「2035年までに年間3,000億ドルを動員」で着地しましたが、以下の構図も浮き彫りになりました。
COP29は、気候資金の「量」だけでなく「構造」の再設計が必要であることを世界に突きつけたものだったと捉えることもできるでしょう。
COP30開催前、世界には以下の重大な動向が存在していました。
ここで、再びビル・ゲイツの発信が重要な意味を持ちます。
COP30開幕直前、ビル・ゲイツは以下の趣旨のメッセージを発信しました。
気候変動は深刻である。しかし、気候変動を単体の問題として切り離すことは誤りだ。
気候変動は、貧困、農業生産性、保健、食料安全保障、教育と密接に連動しており、それらを包括的に扱うことが不可欠である。
これは気候行動の優先順位を下げるという意味ではありません。以下のように捉え、理解すべきでしょう。
この視点は、COP30が力点を置いた「適応」「森林」「自然資本」「気候資金」と完全に一致します。COP30は、気候問題を“環境の枠”に閉じ込める時代が終わったことを示す会議であったと、筆者は捉えています。
COP30は、従来型の「排出削減中心のCOP」とは異なる構造で運営されました。とりわけ注目すべきは、適応・自然資本・森林・気候資金が大きく前面に出てきた点です。
その背景には、以下の認識が国際社会全体で共有されたことがあります。
こうした背景のもと、COP30のメインアジェンダは以下の四本柱で構成された、と考えると、整理しやすいのではないでしょうか。
COP30最大の成果の一つは、GGA(Global Goal on Adaptation)の具体化です。様々な発信で、「COP30は緩和について議論していない」「適応ばかり議論するのは不適切である」という趣旨の批判が散見されますが、そもそもCOP30は「適応」メインで議論・合意されるべき位置づけでした。これまで適応は、緩和に比べて政策議論の周縁に置かれがちでしたが、COP30では、以下のような具体的枠組みが初めて明確化されました。
適応が制度としてここまで具体化されたのは初めてであり、多くの専門家が「COP30は適応のCOPである」と評価したのも頷けます。そして、これも先述した「貧困・保健・農業・インフラ問題と結びつけた気候行動」という方向性とマッチしていますね。
COP30における気候資金(NCQG:New Collective Quantified Goal)の議論は難航しましたが、前進した点も多くありました。主な成果は次の通りです。
金額そのもの(兆ドル規模)への合意は得られなかったものの、「どう資金を流すか」という制度設計が大きく前進したという評価が広く共有されました。これは「資金不足=適応不足=社会脆弱性の増幅」という悪循環を断つ上で不可欠の進展であり、国際金融機関・開発銀行・民間金融が関与しやすい枠組みの基盤となっていくでしょう。
ベレン(アマゾン圏)で開催されたCOP30では、森林が中心的議題として扱われました。主な内容は以下です。
森林議題の核心は、単に「吸収源としての炭素吸収」ではなく、“自然資本=経済基盤”であるという認識が国際政策として明確化したことです。これも、気候問題を「複合社会課題」として扱う方向性そのものです。
派手な合意は少なかったものの、COP30は緩和政策においても重要な布石を打っています。
特に2035年NDCは、企業にとって中期的な技術投資・資本計画を策定する基準点となり得る、と言う意味で、企業戦略に大きな影響を与えるでしょう。
COP30の成果を体系的に整理すると、以下の四つに集約されます。
適応が“緩和と並ぶ中核テーマ”となった歴史的な瞬間、と言えるのではないでしょうか。
金額未合意の課題は残るものの、制度基盤は大きく前進したと言ってよいでしょう。ここから具体的な議論が積み上げられていくでしょう。
気候政策の中心に“自然資本”が入ったことは、筆者の知る限りCOPとして初めてのことです。
逆に、未合意事項は、今後のCOP31(2026年)に持ち越されます。2026年以降のアジェンダとして、知っておくべきでしょう。
途上国の主張する兆ドル規模に対し、先進国は慎重で一致を見ませんでした。
依然として政治的抵抗が強く、合意文書に明記されるには至りませんでした。そしてこれからも、化石燃料のサプライサイドを圧迫するアプローチではこれ以上進まないでしょう。再エネや代替燃料などを社会に浸透させ、デマンドサイドのニーズが減少した結果として、自然且つ健全に化石燃料がフェーズアウトしていくような政策に移行する必要があります。
透明性基準・二重計上防止・追加性などで各国の溝が埋まらず、最も重要な論点のひとつが持ち越されました。しかし、国によっては、既に6条ルールに沿ったクレジットの創出や活用のために動き始めています。健全な市場形成と資金循環の拡大・加速を早期に実現せねばなりません。
これまでに述べてきた通り、COP30は「派手さはないが本質的な前進」があったCOPである、と筆者は捉えています。その理由を改めて整理すると、次の四点です。
これは大きな転換と言ってよいでしょう。適応は気候災害・貧困・農業・都市インフラなど、多領域とつながる複合課題です。気候行動は“貧困や開発課題と統合されなければ本当の効果を持たない”という認識がCOPで制度枠組み化された、と捉えるのが妥当でしょう。
森林はこれまでは、気候変動緩和や排出量削減・吸収の文脈では炭素吸収源として扱われることが圧倒的に多かったのですが、その概念は漸く拡張されました。森林は
などの多面的な価値を持ちます。COP30はそれを“政策の核心”に位置付けた最初のCOPという側面もあったと思っています。
企業にとっても、脱炭素投資の中期軸が明確化された意義は大きいでしょう。
ある意味で金額よりも重要なのは、資金がどのように流れ、どのように投資され、活かされるかです。まだまだブレイクダウンされなければなりませんが、少なくとも今後それらを具体化していく基盤となっていくでしょう。
総じて、COP30を一言で表すなら、
「気候政策が“環境問題”の枠を超え、“社会課題全体”を扱う方向へ転換したCOP」
だったのではないでしょうか。
従来のCOPが主に排出削減(緩和)を中心に議論してきたのに対し、COP30は以下を明確に示しました。
これらはまさに、ビル・ゲイツが強調した「気候問題は複合社会課題である」という視点と軌を一にしています。COP30は、気候政策の“次章”の始まりを世界に示した、と筆者は捉えているし、そう理解することで、国や政府も企業も、より実践的な行動を検討・推進していくべきでしょう。
とは言え、COP30で積み残された論点は多く、2026年は極めて重要な年になります。
未だ提出できていない排出国が2035年目標を正式提出する動きは確実に出るでしょう。むしろ、COP30を通じて「1.5℃の野心的目標を堅持することは、もはや前提である」という点は揺るがなかった以上、そうでなくてはなりません。
COP30では構造合意が中心だったため、2026年は金額交渉が本格化するでしょう。
品質基準が整えられ、追加性・二重計上などの長年の懸念を払拭できるような仕組みや市場整備が進むでしょう。
TNFDとの整合が進み、自然資本情報の開示が標準化していくでしょう。既にTNFDをISSBが取り込む動きが進んでいると聞き及んでいます。そうすれば、日本企業にとっても自然資本に関する情報開示や、それに起因するネイチャー関連の動きが更に活発化するでしょう。
都市、水資源、農業などの実装プロジェクトが急増するでしょう。更に、「適応」の具体的なアクションによって省エネや再エネ化などが加速し、気候変動対応も加速するような複層型の政策や企業投資が増えていくはずです。
COP30は表面的な目立つ成果こそ少なかったが、以下の構造変化が世界に示されました。
これは従来のCOPとは明らかに異なる点です。そして、ビル・ゲイツが投げかけた「気候問題は複合課題である」という視点を、国際社会が正式に受け止めた、あるいは「思い出した」COPでもありました。個人としても企業としても、こうした視点で2026年以降の行動変容を加速させなくてはなりませんね。