中東情勢の緊迫化やウクライナ危機の長期化を受けて、原油・天然ガスを巡る供給不安や価格変動リスクが改めて意識されています。有事の局面では、安定供給確保を優先して石炭火力の活用や油田・ガス田開発拡大の動きが強まり、脱炭素の流れに逆風が吹く場面も少なくありません。一方で、危機が浮き彫りにするのは、化石燃料の輸入依存がもたらす価格高騰や供給不安といった脆弱性でもあります。
本稿では、ウクライナ危機後の欧州の対応や足元の有事を手がかりに、危機は脱炭素を止めるのではなく、その本当の価値――価格高騰への耐性、供給途絶への備え、エネルギー安全保障、そして危機に強い産業構造――を問い直す契機になっていることを、S.ENDOが解説します。
有事は、たしかに脱炭素の逆風になる
地政学リスクや災害リスクが高まると、脱炭素は後景に退きやすくなります。これは理念の問題ではなく、現実のエネルギー需給の問題です。足元でも、中東情勢の緊迫化を受けて原油や液化天然ガス(LNG)を巡る供給不安が強まり、アジアではLNG不足と価格上昇を背景に、石炭火力や原子力の活用を強める動きが報じられています。短期の安定供給を最優先すれば、排出量の少ない技術よりも、いま確保できる燃料や電源が優先されやすいのは避けがたい面があります。
この現実だけを見ると、「有事の局面では、やはり脱炭素は後回しになる」という見方は一定の説得力を持ちます。実際、危機の最中に求められるのは、まず電力を止めないこと、工場を止めないこと、暮らしを止めないことだからです。エネルギー政策は、平時には環境負荷やコスト、産業政策との整合を丁寧に積み上げられても、有事には即応性と確実性が優先されやすい。ここは、きれいごとで片づけられない重要な論点です。
しかし、危機が示すのは「化石燃料の強さ」より「依存の脆さ」である
ただし、ここで見誤ってはいけないのは、危機が化石燃料の優位を証明しているわけではないということです。むしろ危機が可視化するのは、輸入化石燃料への依存が高いほど、価格高騰や供給途絶の影響を強く受けるという現実です。国際エネルギー機関(IEA)は、クリーンエネルギーへの移行は燃料価格の変動リスクへのさらされ方を減らし、より安全で持続可能なエネルギーシステムを築く機会でもあると整理しています。危機が問い直しているのは、脱炭素の是非ではなく、どのようなエネルギー構造なら有事に耐えられるのかです。
この視点に立つと、危機は脱炭素の「敵」ではなく、脱炭素の中身を選別する圧力だと捉えられます。化石燃料の価格が上がれば上がるほど、先進国の多くが輸入に依存するエネルギーの供給面の脆さは鮮明になります。供給網が揺らげば揺らぐほど、特定の調達網に縛られない多様なエネルギー源の確保や、機動的にポートフォリオを組み替えられる調達の柔軟性、そして需要そのものを減らす仕組みの価値は高まります。危機はたしかに短期的な揺り戻しを招きますが、同時に、何に依存していることが本当のリスクなのかを、平時よりもはるかに分かりやすく示します。
ウクライナ危機は、欧州の天然ガス価格をどう変えたのか
この点を理解するうえで、ウクライナ危機後の欧州のエネルギー事情は重要な先行事例です。欧州委員会は、ロシアによるウクライナ侵攻と、その後のエネルギーの政治利用を受けて、ガス価格と電力価格が2022年に記録的な水準まで上昇し、8月にピークを付けたと整理しています。つまり、ウクライナ危機は、欧州の天然ガス価格を実際に急騰させました。これは「危機が起これば脱炭素どころではなくなる」という見方を裏づける事実の一つです。
その後、価格は一定程度落ち着きを取り戻しました。欧州エネルギー規制協力庁(ACER)は、2023年の欧州ガス市場について、ロシア産パイプラインガスの減少を受けながらも、LNG輸入の増加、需要削減、高水準の在庫によって需給が改善し、価格は危機時の高騰局面から低下したとしています。ただし同時に、欧州ガス市場は依然としてロシア供給ショック後の新しい条件の下にあり、構造的な課題が残っているとも述べています。価格が下がったから元に戻ったのではなく、供給構造そのものが変わったのです。
この「元に戻らない」という点は重要です。危機は一時的な価格ショックにとどまらず、エネルギー調達の前提、政策判断の優先順位、企業の投資行動まで変えてしまうことがあります。ウクライナ危機後の欧州は、まさにその典型例でした。危機は過ぎ去るが、危機が露呈させた脆弱性は残る。その結果、エネルギー政策は単なる価格対応ではなく、構造転換へと進みやすくなります。
欧州が進めたのは、「脱炭素の棚上げ」ではなく「安全保障起点の転換」だった
ここで見ておきたいのは、欧州がウクライナ危機を受けて何をしたかです。欧州委員会のREPowerEUの総括によれば、EUは2022年8月から2023年12月までの間に、危機前5年平均比でガス需要を18%削減しました。また、ロシア産ガスへの依存は、戦争開始時(2022年)の輸入全体の45%から、2025年には12%まで低下したと結論づけています。欧州が進めたのは、脱炭素の単純な棚上げではなく、需要削減、エネルギー自立、クリーンエネルギー拡大を一体で進める危機対応でした。
ここから読み取れるのは、危機が脱炭素の必要性を消したわけではなく、むしろその意味を変えたということです。平時の脱炭素が「環境負荷低減」の色合いを強く持っていたとすれば、有事の脱炭素は「安全保障」「価格安定」「供給レジリエンス」の色合いを強く帯びます。欧州委員会がエネルギー危機対応を通じて、貯蔵、需要削減、域内エネルギー確保、ロシア依存低減を並行して進めてきたのは、脱炭素を環境政策の枠内に閉じ込めず、経済安全保障の中核に置き直したからだと言えます。
日本特有のエネルギー構造を踏まえ、「P/Lの視点」で対策を再定義する
欧州のように他国と送電網を融通できない日本において、特定の化石燃料への過度な依存は調達コストの直撃を意味します。東日本大震災に起因した福島第一原子力発電所事故の後、日本のエネルギー政策は大きく揺れました。震災後の電力供給制約と電気料金の大幅な値上げが、企業の製造コストを直撃し、営業利益を激しく圧迫したことは記憶に新しいはずです。価格変動リスクを伴う特定の化石燃料やサプライチェーンに過度に依存し続ける限り、有事のコスト増は避けて通れません。
この事実は、「危機の前では脱炭素は無力だ」ということを示しているのではありません。むしろ、危機の発生によって、エネルギー政策と気候政策を切り離して考えることの難しさが露わになった、という方が正確です。外部ショックが起きたときに、安定供給の確保、価格上昇の抑制、産業活動の継続、国際公約との整合をどう取るか。そこに答えがなければ、脱炭素は後退しやすくなる。逆に言えば、その答えを持てる脱炭素こそが、危機に耐えうる脱炭素です。
実際に、危機は新しい技術導入と投資を動かしている
危機は、短期的には化石燃料回帰を招きます。ただし、それだけではありません。2022年のウクライナ危機を契機に、欧州では屋根置き太陽光や蓄電池の導入が急増しました。直近のイラン情勢を受けたエネルギー価格高騰への懸念も、こうした分散型電源への移行圧力を継続的に後押ししています。背景にあるのは、気候意識だけではなく、エネルギー価格上昇への警戒とエネルギー依存への不安です。危機は短期的には逆風であっても、同時に分散型電源や蓄電池への投資を加速させる圧力にもなっています。
危機がイノベーションを生むのは、社会が急に理想主義になるからではありません。そうではなく、危機が、従来は見過ごされていた依存コストを一気に可視化し、代替技術の経済合理性を高めるからです。平時には「環境対応コスト」と見られていた投資が、有事には「価格高騰へのヘッジ」や「事業継続の保険」として理解され始める。この認識転換が起きたとき、技術導入のスピードは一気に加速します。
「必要は発明の母」は、エネルギーでも成り立つ
ここで言う「必要」とは、抽象的な精神論ではありません。エネルギー価格の急騰、輸入燃料への依存、物流遮断、供給途絶、需要変動といった、企業や社会が現実に直面する制約です。そうした制約が強まるほど、自家消費型太陽光、蓄電池、電化、省エネルギー、需要側マネジメント、送配電網強化といった選択肢の意味は重くなります。IEAは、新型コロナウイルス禍からの回復とロシアのウクライナ侵攻により引き起こされた2022年の世界的なエネルギー危機が、よりクリーンで安全なエネルギーシステムへの転換を加速させ得る歴史的転換点にもなり得ると述べています。危機は、脱炭素を自動的に進めるわけではありませんが、どの技術や調達手段が本当に利益を守るのかを、より厳しく、より実務的に選別する力を持っています。
ただし、ここも楽観しすぎるべきではありません。危機そのものが、自動的に良い技術や制度を生むわけではないからです。危機を前向きな転換点にできるかどうかは、その後に政策、制度、投資判断が追いつくかどうかにかかっています。危機が示す課題を、短期の延命策で終わらせるのか、それとも構造転換の契機にできるのか。イノベーションが起こるかどうかは、危機の有無ではなく、危機のあとにどのような意思決定がなされるかで決まります。
GX投資を「利益防衛策」として財務言語化する
この意味で、企業がGX(グリーントランスフォーメーション)をどう捉えるかも変わるべきです。GXは、平時に余裕があるときだけ進める理想論ではありません。むしろ、燃料価格の急騰、物流の寸断、調達難、規制変更、顧客要求の変化といった有事に直面したときに、自社の事業をどこまで守れるかを左右する経営のレジリエンス(強靭化)強化策です。東京証券取引所のコーポレートガバナンス・コードも、サステナビリティを巡る課題への対応を、リスクの減少のみならず収益機会にもつながる重要な経営課題と位置づけています。
ここで企業が見るべきなのは、排出量の多寡だけではありません。価格高騰への耐性、調達の柔軟性、エネルギーコストの変動吸収力、顧客要求への対応力、そして危機時にも事業を止めない体制です。自家消費型電源や徹底した省エネ投資による足元の強靱化は、コントロール不能な『管理不能費 (燃料調整費など)』を、自社で管理可能な『管理可能費 (減価償却費)』へと転換する強力なヘッジ手段です。このように外部調達への依存度を下げることは、外部の価格変動リスクを遮断し、自社の営業利益の変動をヘッジする実務的な利益防衛策となります。サステナビリティ部門は直ちに経営企画や財務部門と連携し、社内の投資評価基準を『CO2削減トン当たりのコスト』から、燃料高騰時の『利益防衛力(リスク回避効果)』へと書き換える議論を主導する必要があります。
結論――危機は脱炭素を止めるのではなく、その価値を厳しく選別する
結論として、地政学リスクや災害リスクは、短期的には脱炭素の動きを鈍らせます。これは事実です。しかし、それは脱炭素の失敗を意味しません。むしろ危機は、どの脱炭素が有事に強く、どの脱炭素が理念先行で脆いのかを厳しく選別します。ウクライナ危機後の欧州が示したのは、価格高騰や供給不安を経験したからこそ、需要削減、エネルギー自立、クリーンエネルギー拡大が安全保障の文脈で再定義されたということでした。
いま有事のエネルギー危機が問い直しているのは、脱炭素の是非ではありません。問い直されているのは、脱炭素の本当の価値です。価格高騰に耐える力、依存を減らす力、そして不確実な環境下でも『営業利益をコントロールし切る』強靭な財務・事業構造をつくる力。そこまで含めて脱炭素を捉え直せるかどうかが、これからのGXの質を分け、各企業の今後の成長可能性を決めるといっても過言ではありません。
