【総研ブログ】【連載】価値創造ストーリーで「戦略」を動かす──「説明する図」から「実行するための共通言語」へ 第1章 価値創造ストーリーは、なぜ経営に「実装」しにくいのか
目次
統合報告書で広く使われるようになった「価値創造ストーリー」。しかし、企業の資本や事業活動を美しく整理できても、中期経営計画や投資判断、KPIなど、実際の経営に十分活用されていないケースがあります。本章では、価値創造ストーリーが「開示のための説明図」にとどまりやすい構造的な理由を整理し、経営の意思決定に使える「実行するナラティブ」へ転換するための論点を提示します。
はじめに――増えているのは、「美しいが、動かない」ストーリーではないか
近年、多くの日本企業が統合報告書を発行し、財務情報と非財務情報を一体的に説明するようになりました。
その中核に置かれることが多いのが、企業がどのような資本を活用し、事業活動を通じて価値を生み出すのかを示す「価値創造ストーリー」です。統合報告書では、このストーリーが一枚の「価値創造プロセス図」として表現されることが一般的です。
経営理念やパーパスを起点に、企業が保有・利用する資本を事業活動に投入し、製品やサービスを生み出し、顧客、社会、環境、そして自社に価値をもたらす。こうした一連の流れが、図として分かりやすく整理されています。
価値創造ストーリーが広く普及したこと自体は、大きな前進です。
企業を売上や利益だけで捉えるのではなく、人材、技術、顧客との関係、自然環境、設備や業務基盤など、さまざまな資本が中長期的な企業価値を支えているという認識が広がったからです。
一方で、私たちはサステナビリティ戦略やGXの実務支援を通じて企業と対話する中で、ある疑問を持つようになりました。
統合報告書に掲載された価値創造プロセス図は、その企業固有の価値創造の仕組みを十分に表しているのでしょうか。そして、そこで示された価値創造ストーリーは、実際の経営や事業の意思決定にどこまで使われているのでしょうか。
価値創造ストーリーが、中期経営計画の策定、事業ポートフォリオの見直し、設備・研究開発・人材への投資配分、事業KPIの設定・運用、経営会議でのモニタリングに活用されている企業もあります。
しかし、必ずしもすべての企業で、そこまで経営に組み込まれているわけではありません。
統合報告書の制作時には丁寧に議論されるものの、発行後はほとんど参照されない。すでに決まった中期経営計画やサステナビリティ施策を、後から一枚の図に整理する。事業部門にとっては、自部門の戦略や日々の判断との関係が見えにくい。
こうした状態を、本連載では「価値創造ストーリーの未実装問題」と呼びます。
問題は、図のデザインや説明の分かりやすさだけではありません。
企業が保有・依存する資本が、どのように事業上の能力へ変換され、顧客価値や社会価値を生み、競争優位や企業価値につながるのか。その論理が、経営の意思決定に使える形で描かれていないことにあります。
本章では、価値創造ストーリーがなぜ戦略に使いにくいのか、その構造的な理由を考えます。
価値創造ストーリーの本来の役割
そもそも、価値創造ストーリーは何のために存在するのでしょうか。
統合報告の考え方において、価値創造ストーリーは、単なる情報開示のフォーマットではありません。
企業の戦略、ガバナンス、資本、事業活動、成果、将来の見通しが、どのように中長期的な価値創造につながるのかを説明するためのものです。
言い換えれば、価値創造ストーリーは、企業が中長期的に価値を生み出し続けるためのビジネスモデルと、それを支える資本や戦略のつながりを可視化するものです。
- 自社を取り巻く外部環境や競争環境をどのように認識しているのか。
- 自社にとって重要な資本は何か。
- どの資本が競争優位の源泉となり、どの資本が成長の制約や毀損リスクとなり得るのか。
- それらの資本を、どのようなケイパビリティへ変換するのか。
- その能力によって、どのような顧客価値、社会価値、環境価値を生み出すのか。
- そして、生み出された価値を、どのように収益、信頼、技術、人材、データなどの資本として再び蓄積するのか。
価値創造ストーリーが本来答えるべきなのは、こうした問いです。したがって、価値創造ストーリーは、企業が自らの過去と現在を説明するだけのものではありません。
本来、企業の意思決定は、パーパスから長期ビジョン、長期戦略を導き出し、それを中期戦略、日々の事業計画へとブレイクダウンしていくプロセスです。価値創造ストーリーは、この「上流・長期戦略」と「中期・事業計画」の間に立ち、一貫性をもって両者をつなぐ「接続点」として設計されるべきものです。
経営陣から現場の事業部門、サステナビリティ部門、そしてIR部門にいたるまで、全員が戦略のつながりと全体像を正しく理解し、自社の将来について議論するための「経営の共通言語」──それこそが、価値創造ストーリーが本来果たすべき役割です。しかし現実には、価値創造ストーリーがこの「共通言語」として機能していないために、組織内に深刻な分断が生じています。
サステナビリティ部門が「自然資本(生物多様性や資源保全等)への対応」を声高に叫んでも、事業部門からは「足元の売上目標で手一杯だ」と冷遇される。経営企画部門がまとめた中期経営計画の横で、統合報告書の価値創造プロセス図が「IR部門の独立した制作物」として孤立している。投資家からの「御社の人的資本投資は、中長期のROEにどう効くのか」という問いに、誰も論理的に答えられない。
これらはすべて、価値創造ストーリーが経営に実装されていないために起こる悲劇です。
なぜ価値創造ストーリーは「未実装」になるのか
価値創造ストーリーが経営に使われにくい一因は、その作成プロセスにあります。
多くの場合、統合報告書の制作はIR部門やサステナビリティ部門が中心となって進めます。
もちろん、これらの部門が中心的な役割を担うこと自体に問題があるわけではありません。むしろ、経営や事業の情報を収集し、一貫した説明にまとめるために、多大な労力を負っています。
問題は、価値創造ストーリーが、戦略を考えるプロセスではなく、すでに決まった戦略を説明するプロセスとして作られる場合があることです。
中期経営計画や事業戦略が策定された後に、それらを統合報告の枠組みに合わせて整理する。その結果、価値創造ストーリーは、経営戦略の設計図ではなく、既存の施策を配置した説明図になりやすくなります。
価値創造ストーリーが未実装かどうかは、以下の問いで診断できます。一つでも該当すれば、単なる「説明図」にとどまっているサインです。
- 中期経営計画の策定後に、事後的に作成されている
- 自社にとって重要な資本の選択や優先順位が明確でない
- 資本からケイパビリティ、顧客価値、競争優位への因果仮説が描かれていない
- 設備、人材、研究開発などへの投資配分に反映されていない
- 事業部門のKPIや経営管理指標に落とし込まれていない
- 生み出したアウトカムが、どの資本として再蓄積され、次の価値創造につながるのかが示されていない
- 統合報告書の制作時期以外には、ほとんど参照されない
価値創造ストーリーを戦略として機能させるには、開示資料として完成させるだけでなく、経営の意思決定プロセスに組み込む必要があります。
実装を阻む3つの構造的な壁
では、価値創造ストーリーを戦略に使おうとしたとき、具体的に何が障害となるのでしょうか。
私たちは、大きく3つの構造的な壁があると考えています。
第1の壁:6つの資本が「並列の箱」になっている
第1の壁は、6つの資本(VRF(価値報告財団)/IFRS財団(旧IIRC)が提唱する6つの資本概念)の扱い方です。
統合報告では、一般に次の6つの資本が用いられます。
- 財務資本
- 製造資本
- 知的資本
- 人的資本
- 社会・関係資本
- 自然資本
多くの価値創造プロセス図では、これらがインプットとして横並びに配置されています。
例えば、財務資本には総資産や自己資本、製造資本には生産拠点数、知的資本には特許件数、人的資本には従業員数、社会・関係資本には顧客基盤、自然資本にはエネルギー使用量などが記載されます。
この整理には、自社が利用する経営資源を網羅的に把握できるという利点があります。
しかし、資本を分類して並べるだけでは、その企業の競争優位がどこから生まれているのかまでは見えてきません。
資本は、互いに独立して価値を生み出すものではないからです。
例えば、自然環境や原材料に関する知見が技術やデータとして蓄積され、それを活用できる人材や組織能力が育つ。その能力が、顧客や取引先との信頼関係を通じて新しい市場や事業機会につながり、設備や業務プロセスを通じて製品・サービスとして実装される。
このように、価値創造は複数の資本の相互作用と変換によって生まれます。
したがって重要なのは、6つの資本に普遍的な序列を付けることではありません。
自社のビジネスモデルにおいて、それぞれの資本が以下の役割を見極めることです。
- 企業活動を成立させる基盤なのか
- 価値を変換する主体なのか
- 価値創造を実装する手段なのか
- 成果であり、次の価値創造を支える再投資原資なのか
財務資本も、単なる結果ではありません。
企業活動に投入される資本であると同時に、価値創造の成果として増減し、次の人材、技術、設備、自然環境、関係性への投資を支える再投資原資でもあります。
6つの資本を分類表ではなく、自社固有の価値創造を生み出す役割構造・変換構造として捉えることが必要です。
第2の壁:サステナビリティ施策と企業価値の接続が弱い
第2の壁は、非財務資本への取り組みと、事業上の成果や企業価値との因果関係が曖昧になりやすいことです。
現在、多くの企業が、脱炭素、自然資本、人的資本、人権、サプライチェーン、地域共生などを重要テーマとして掲げています。
しかし、組織の中では、これらのテーマが個別施策として分断されがちです。
環境部門はCO2排出量の削減を進め、人事部門は研修時間や女性管理職比率、エンゲージメントスコアを管理し、調達部門はサプライヤー調査を実施する。
それぞれの取り組みは重要です。
一方で、それらが自社の事業戦略や競争優位にどうつながるのかが示されていなければ、事業部門からは「既存ビジネスを圧迫する追加コスト」、経営企画部門からは「投資回収の道筋が見えない聖域化された予算」として敬遠され、サステナビリティ部門自身も「自社の競争優位にどう貢献するのか」を経営陣に証明できずに孤立してしまう可能性があります。
「数百億円規模の脱炭素投資が、将来の事業ポートフォリオやキャッシュフロー創出力にどう貢献するのか」を論理的に語れないストーリーは、経営戦略として機能しません。
投資家や金融機関にとっても同様です。
環境や社会にとって望ましい取り組みであることは理解できても、それがどのように売上成長、利益率向上、事業リスクの低減、資本効率の改善、将来の成長機会につながるのかが分からなければ、企業価値への影響を評価することは困難です。
戦略として実装するためには、例えば次のような因果関係を描く必要があります。
- 脱炭素への投資が、単に排出量を減らすだけでなく(※特定のScope削減や省エネ効果等)、エネルギー価格変動への耐性や顧客からの選好、製品競争力の向上につながる。
- 人的資本への投資が、研修の実施にとどまらず、新しい技術やサービスを生み出す能力、顧客課題を解決する能力、戦略を実行する能力の向上につながる。
- 自然資本への配慮が、リスク回避だけではなく、原材料の安定調達、製品の差別化、地域との信頼関係、新たな市場形成につながる。
重要なのは、すべてのサステナビリティ施策に直接的な財務リターンを求めることではありません。
規制対応、事業継続、社会からの信頼の維持など、企業が事業を続けるために必要な取り組みもあります。
そのうえで、各施策が以下を整理し、事業戦略との関係を明確にする必要があります。
- 事業継続の前提を守るものなのか
- リスクを低減するものなのか
- 既存事業の競争力を高めるものなのか
- 新たな成長機会を生み出すものなのか
第3の壁 アウトカムが資本再蓄積につながっていない
第3の壁は、価値創造の出口に関する問題です。
多くの企業が、CO2排出量の削減、従業員エンゲージメントの向上、地域社会への貢献、顧客満足度の向上などを目標として掲げています。
これらのアウトカム自体が、同業他社と共通していることは問題ではありません。
気候変動、人権、安全性、ダイバーシティなどは、企業が共通して取り組むべき課題でもあります。
問題は、共通するアウトカムが、自社固有の資本、ケイパビリティ、顧客価値、競争優位とどのようにつながっているのかが示されていないことです。
同じCO2排出量削減を目指す企業であっても、その実現方法は異なります。
ある企業は省エネ技術(※CO2削減効果等の実証データに基づく)を知的資本として蓄積し、製品やサービスとして外販するかもしれません。
別の企業は、再生可能エネルギーの導入(※適切なトラッキング付証書等の活用)を通じて、エネルギーコストの安定化や供給リスクの低減を実現するかもしれません。また別の企業は、サプライヤーや地域との連携を通じて、社会・関係資本を強化するかもしれません。
戦略として問われるのは、アウトカムが他社と異なることそのものではありません。
そのアウトカムを生み出す仕組みと、アウトカムを次の競争優位へ戻す仕組みが、自社固有のものとして描かれているかということです。
ここでは、アウトプット、アウトカム、財務成果、資本再蓄積を区別する必要があります。アウトプットとは、企業活動によって直接生み出された製品、サービス、設備、施策などです。
アウトカムとは、その結果として、顧客、従業員、社会、環境、自社に生じた変化です。
財務成果とは、売上、利益、キャッシュフロー、資本効率などに表れる成果です。
資本再蓄積とは、価値創造の結果が、技術、データ、人材能力、ブランド、信頼、自然環境、財務余力などの資本として蓄積されることです。
例えば、以下のような循環が描かれて初めて、価値創造ストーリーは持続的な成長の仕組みを示すものになります。
-
顧客の課題を解決した結果として信頼が高まり、社会・関係資本が強化される
-
新たな環境技術の導入を通じて、技術や運用データが知的資本として蓄積される
-
従業員が新規事業の経験を積むことで、人的資本が強化される
-
収益やキャッシュフローが増加し、次の研究開発、人材、設備、自然資本への投資余力が生まれる
「説明する図」から「実行し、更新する経営の言語」へ
価値創造ストーリーを経営に実装するためには、統合報告書の制作物として扱うだけでは不十分です。
価値創造ストーリーは、経営企画部門、事業部門、サステナビリティ部門、IR部門などが共同で設計し、事業環境の変化に応じて更新していく、経営の共通言語であるべきです。
本連載では、過去と現在を整合的に説明する完成済みの図を「説明するストーリー」、将来に向けた仮説を示し、組織内の対話と意思決定を通じて継続的に更新されるものを「実行するナラティブ」と捉えます。
実行するナラティブには、完成された一つの正解があるわけではありません。外部環境が変化すれば、重要な資本も変わります。
新たな技術や規制が登場すれば、競争優位の源泉も変わります。事業の成長に伴って、強化すべき資本や、制約となる資本も変わります。
そのため、価値創造ストーリーは、一度作成して完成するものではなく、戦略仮説を検証しながら更新し続ける必要があります。
価値創造ストーリーが経営に実装されている状態とは、美しい図が完成している状態ではありません。経営や事業の現場で、次のような問いに答えるために使われている状態です。
価値創造ストーリーは、これらの問いに対する仮説を示し、経営陣と現場の対話を促すためのものです。
本連載で明らかにすること
本連載では、価値創造ストーリーを、開示のための説明図から、決定された戦略を具体化し、実行へと接続するための経営ツールへ進化させる方法を考えます。
全体は3部・10章で構成します。
第1部:価値創造ストーリーを「開示」から「経営実装」へ
第1部では、価値創造ストーリーを経営戦略の具体化と実行に活かすための基本的な考え方を整理します。
6つの資本を横並びの分類ではなく、自社固有の役割構造・変換構造として捉え直します。
さらに、資本をケイパビリティ、提供価値、競争優位、企業価値へ変換する考え方を整理し、SWOT分析を重要資本や資本ギャップを特定する入口として再構成します。
第2部:各資本をいかに競争優位へ変えるか
第2部では、自然資本、人的資本、知的資本、社会・関係資本、製造資本、財務資本が、価値創造においてどのような役割を果たすのかを考えます。
各資本を個別に説明するだけではなく、他の資本とどのように結びつき、企業のケイパビリティや競争優位へ変換されるのかを検討します。
第3部 企業価値と経営実装へ接続する
第3部では、顧客、社会、環境、従業員などにもたらしたアウトカムを、財務成果、KPI、投資判断、資本再蓄積へつなげる方法を扱います。
最後に、先進企業の事例を正解として模倣するのではなく、自社固有の資本構造と価値変換の論理を描くための要点を整理します。
おわりに――価値創造ストーリーを、経営の意思決定に使えるものにする
価値創造ストーリーは、統合報告書を整えるためだけのものではありません。
企業が、どのような資本に依存し、どの資本を強みとし、それらをどのような能力へ変換し、いかなる価値を生み出すのかを示す経営の言語です。
そして、価値創造ストーリーの実効性は、説明の美しさではなく、実際の意思決定に使われているかによって判断されるべきです。
中期経営計画や事業戦略、投資配分、KPIに反映され、生み出したアウトカムが次の資本として再蓄積されているか。
こうした問いに答えられて初めて、価値創造ストーリーは、開示資料から戦略実行のツールへと変わります。
次章では、この転換の第一歩として、6つの資本を単なる分類の箱として扱うことの限界を考えます。
6つの資本の間に固定的な序列を設けるのではなく、自社のビジネスモデルにおいて、それぞれの資本がどのような役割を担い、どのように相互変換されているのか。
価値創造の「役割構造・変換構造」を描くための考え方を提示します。
<参照資料>
- IIRC(国際統合報告推進協議会)「国際統合報告フレームワーク」
- SSBJ(サステナビリティ基準委員会)「サステナビリティ開示基準」
- 経済産業省「伊藤レポート(2014年8月公表)
- 経済産業省「伊藤レポート2.0(2017年10月公表)」
- 経済産業省「SX版伊藤レポート(伊藤レポート3.0)(2022年8月公表)」
